hashimotochanのブログ

大学3年生が思ったことを気ままに書いています。

ユーザーネームの個性とネットの匿名性

こんにちは!橋本です。

 

ネットで何かのサービスやコンテンツを利用する時、ユーザー登録をまず求められることは珍しいことではありません。ものによってはご丁寧にグーグルでログイン、フェイスブックでログインなんていうのがあったりします。そうするとワンクリックで登録が完了する。仮登録をしてからメールをチェックして、さらにそこからリンクに飛んで…という手間も省けます。こんなに簡単なことはありません。

 

しかし、匿名でネットを利用したい時。ありますよね。

そんな時のユーザーネームの設定、難しくないですか?!

 

私はこのブログを友人に知られるのが嫌だったので、名前の設定の時にしばらく悩みました。

 

誕生日、好きなものなど自分に結びつくものを使うのはバレる気がして使いたくない。でも自分と全く関係がないものって思いつかないし、覚えるのも難しいし、なんか違う…

ということで結局全国に何万人も同じプロフィールを持つ「橋本」という苗字に落ち着きました。

 

ということで今回、ネットという環境の匿名性と、それが個性に及ぼす影響について考えてみました。

 

掲示板

そもそもネットが「匿名」だったのは掲示板とかBBSとかが盛んだった時代の話のような気がします。

2chなんかがその典型ですよね。IDっていうランダムな英数字の組み合わせが与えられて(実際に使ったことがないのでそこすら曖昧ですが)、その掲示板ではその英数字としてやりとりをかわす。そこに発言以外の個性は挟まれない。

ユーザー登録をするサービスとなると、そこから一歩踏み出すことになると思うんです。

 

登録制が始まってから

グーグル、フェイスブックミクシィツイッター

SNSソーシャルネットワーキングサービス。登録して、自分として一つのユーザーが成立しているからこそ意味のあるサービスです。

SNSでなくても、匿名でありつつ登録をして一つのアイデンティティを維持することはあります。動画サイトであれば自分のお気に入りを登録できるようになる。その代償といっては大げさですが、そのアカウントを特定するために名前が求められる。

ここで登録をする時に自分の好きなものから名前をとったりする。誕生日を入れてみたり、あだ名を入れてみたり。覚えられるように、また自分を象徴するものになるので何かしら自分と関係ある単語やら数字やらを入れる人は多いのではないかと思います。顔文字にしてみたりとかいうのも、私はそういうことを面白いと思う人ですよっていう意思表示。そのユーザーネームをを選んだということがまず最初にその人物について語っているんです。

 

そして更なる個性の追求

ただ、思いつく範囲は限られています。かぶることだってあるわけです。ユーザーIDなんかは、かぶっていると使わせてくれない。ユニークさが求められる。

更に友人同士のやり取りを前提としているSNSの利用方法だと、少しでもかっこいい、いい感じのプロフィールにしたいわけですね。プロフィール写真、ユーザーネーム、プロフィール。それを読んだ人が「私」だと分かるように。差別化です。

こうやって個性的なものの追求が進んでいったように思います。

 

アイデンティティの創作

このような個人特定化の流れの中で匿名でサービスを利用したい。理由は様々です。私みたいに、友達に見られると少し気恥ずかしいブログを書きたい。SNSの趣味アカウントを作りたい。オンラインゲームで実名を出すのは気が引ける。もちろんIPアドレスまでたどられれば特定は可能ですが、ぱっと見で分からなければいい。

そうすると自分以外の名前に自分を代表してもらうしかないわけです。匿名、ではないんです。架空の人物に代わりに名乗ってもらうという感じでしょうか。登録を求められる時点で匿名はもう存在しないんです。登録をしなければならない、名前をつける必要がある。匿名でいるためには、他の名前でごまかさないといけない。自分の名前ではないのですが、その名前が一つのアイデンティティを保ちつづけるんです。

私はここで、抵抗感とまでは言わないけれども、何か違和感を感じてしまうんですね。そこではその名前は自分そのものなわけです。だから自分とあまりにも関係がないと乖離を感じるのだと思います。完全に架空の人物を創作し、その人物に自分を代表させることに抵抗が出てしまう。だって私なのに私じゃないから。

 

匿名でいることができない

本来誰かばれないで使えるっていうのはインターネットの売りだったと思うのですが、ユーザー登録がしっかり浸透して、自分を自分ですと宣言しないとサービスが利用できなくなった。ただ、そうしたくないから自分以外のアイデンティティを使って名乗る。それに抵抗を感じるのは、自分のアイデンティティに対するプライドが高いということなのかなと思います。個性が大事と教わってきているのが、無駄に発揮されてしまう。

私の中で起こっていた葛藤はそういうことだったのかなと思います。 

 

まとめ

ということで、ネットの匿名性からアイデンティティの問題を考えてみました。別アカウントを作る時に自分と全く関係ないものを作ることに抵抗がない人にはなんのこっちゃって話だったかもしれません。でも私が思っているということは、そう思っている人は少なからずいるのかなと思います。どうなんでしょう…

 

 

 

おまけ

「他のSNSと接続する」っていうボタン、ひやひやするので押しやすい所に置くのやめてほしいですね。接続したくないからしてないわけで、したいなら探してでもやりますから。うっかり押しそうになると本当に冷や汗です。

以上、橋本でした。