hashimotochanのブログ

大学3年生が思ったことを気ままに書いています。

やりたいことが分からない

こんにちは!橋本です。

 

自分のやりたいこと、ってすごい曖昧ですよね。大学生なので悩みます。どんなことを仕事にしたいんだろう。自分は何をやるのが好きなんだろう。就活は私にとってもう少し先の話ですが、これから数十年やり続けることを選ぶ気がして、決断をとても重荷に感じることは少なくありません。

 

自分のやりたいことをやる人生が至上みたいな信条が流行っているような気がしますが、そもそもそういうものなのだろうか。それを考えてみたいと思います。

 

自由の代償

現代に至る前の長い間、自分の仕事や結婚相手すら選べない不自由な人生だってあったわけです。それでも人々はある程度幸せだった。逆に言えば選べることによって、選ばなければならなくなったんです。就活しないといけない。婚活しないといけない。

 

選ばなくていいからなんか仕事をくれ!と、そんな風に思うこともあります。日本の文系大学生なんて大学でやったことと仕事が結びついていないからなおさらです。

 

でも、やっぱり自分で選びたいんですよね。でもその感情の根拠って何なんでしょう?私は根拠がない思い込みのようなものだと思っています。

 

やりたいことのあいまいさ 

そもそもやりたいと思うことに出会うのがアクシデントみたいなものだと思うんです。私はもしかしたらインド映画を作れば成功してたかもしれないけど、インド映画は見たことがないしそこまで興味もありません。世界のスポーツを全て試せば一つぐらい才能があったのかもしれない。でもそんなことはできないんです。時間は限られています。

 

やりたいことなんて、自分の周りにある小さい世界に影響されるすごく相対的な概念だなあと思うのです。

 

そんな中でもやることは「やりたいこと」を基準に選びたい。親に勝手に決められるよりは選べた方がいい。自由を信仰するカルトにどっぷりはまっているような気分です。実際そうなんだと思います。

 

ではどうやればやりたいことが分かるのか

そんな相対的な「やりたいこと」を選ぶためにはどんな基準を使うべきか。これが分かってれば苦労しないのですが。かっこいい!とかやってみたい!とかっていうのはただの憧れだったりします。続けるとなるとそれだけでは足りないからです。

 

努力を続けるっていうのはドラマとかで描かれるような汗キラキラなものじゃなくて、もっと地味で苦しくて面倒くさいものだったりします。どんなに頑張って入った大学でも、課題がだるくてツイッターをしてしまいます。してしまうんです。

 

もういっそ、「やりたいこと」なんて分かるわけない!と開き直るのもありなんじゃないかと思います。自分探しをしても無駄なのと同じです。答えはありません。逆に言えば間違いもないのではないでしょうか。

 

まとめ

結局「やりたいこと」があるだなんて幻想だし、たまたま出会って楽しそうなものをやっていけばいいのかなと気楽に考えるのも悪くないと思います。

「やりたいこと」という自由であるはずのものに縛られていたら本末転倒ですから。