hashimotochanのブログ

大学3年生が思ったことを気ままに書いています。

何を信じればいいのか分からなくていい。だって、誰にも分かっていないから

こんにちは!橋本です。

今日は何を信じれば分からないかいいときに気休めになるような話をしたいと思います。

 

<例>医療現場にて

例えば病気になって医者にかかる時、医学は自分の専門分野でないのでお医者さんの言うことを信じるしかありませんよね。さすがに明らかに熱が出ているのに気のせいだ、と言われたりしたら疑ってかかるかもしれませんが、だいたいの場合は説明を聞いて納得するしかありません。

 

ただ、まだ研究が進んでいなかったり、諸説あったりして、お医者さんにすら確実にものを言えない分野というものもあります。だからセカンドオピニオンというのが大事と言われるのですが、二人の医者に全く違うことを言われたりしたら正直「何を信じればいいの?」と思ってしまいますよね。

 

放射能と発がんの関連性、毎年やるべきと言われている乳がん検査、やたらと打てと言われた子宮頸がんの予防注射、精神病の治療…

自分の命にかかわる深刻な問題なので、不安になります。

 

確実にものが言えないというのは当たり前のことではあるんです。なぜならまだ誰にもわかってないから。どれが正しいかは時間しか教えてくれないんです。いわば私たちは実験用のモルモットで、これまで技術の進化のために命を捧げてきた人たちと同様に死んでしまう運命にあるのかもしれません。非常に怖いことですが、何かを選んで信じるしかないんです。

 

<例>その他のいろいろな場所にて

何を信じればいいか分からないというのは、自分の専門外の分野だけには限りません。普段議論されるような事柄でも起こります。というか、議論されているならだいたいそうだと思います。

 

テロに対する対処、集団自衛権、TPP。将来が確実に予測できて選択するのなら苦労はありません。対立しているように見えますが、これらの問題で戦っている人たちは実は同じゴールを目指していたりします。

 

テロなんてない平和な世界であってほしい。日本を戦争する国にしたくない。お互い利益のある貿易がしたい。ただいろいろな方法があって、それぞれ正しいかもしれないのでこんなに争ってしまうんです。

 

お互い平和を目指しているのに争ってしまうなんて皮肉ですよね。お互い自分が一番正しいと思っているので、相手が間違っているのを証明しようと必死です。

 

最終的にはとりあえず今のところの「正しそうなところ」を選んでおくしかないわけです。やはり何かを信じ込むしかない。

 

まとめ

何を信じればいいか分からないから、考えるのやーめた。

そうではなく、何を信じればいいか分からないのは当たり前のことだということをまず受け止めることは大事だと思います。しかしそのうえで、分からない問題は時間しか解決してくれないから自分なりの結論を出しいくしかないんです。あとはなるようにしかなりません。