子どものしつけの難しさと大切さ
こんにちは!橋本です。
大学生になって思うのは、両親に昔言いつけられて嫌だったことは全て私のために言ってくれていたことなんだなあということです。
「もう○時だ。早く寝なさい」
「パソコンは一日一時間まで」
「スマホは高校生の間は許さない」
特に厳しい家庭ではありませんでしたが、最低限のルールはありました。当時は言われたことが自分の意志と反対なので逆らうことしか考えていませんでした。あまりにも自分の意志と反対のことを言いつけてくるので、父を敵とみなすこともありました。思春期そのものですね。反抗されて両親も腹が立つことは少なくなかったでしょう。
もちろん今も親と意見の相違でぶつかることはありますが、もう昔のようにむきになるようなことはありません。少し立ち止まって考えてみれば私のことを思って言ってくれていることなんてすぐに分かりそうなものなのに、理不尽な命令に聞こえたものです。どうしてなのでしょう。
幼少時の経験の大事さ
小さいころのしつけは私を形作っているとても大事なものです。両親にとても感謝したい。と同時に、自分にもし将来子どもができたら同じようにしてやれるのかどうかとても不安に思ったりします。ちょっと気が早すぎるでしょうか。
小さいころの経験って大事なんですよね。自分で選べないけれど、自分の基礎を確実に形作るものなんです。例えば小さいころの習い事は大きな影響を及ぼします。小さいころにはじめていなかったらプロになれないスポーツはたくさんあります。昔ちょっとやっていたピアノを続けていたら、もし昔書道をやっていたら。そう思う時もあったりします。
習い事としつけが違うのは、習い事なら今からでも始めるのは遅くないというところです。もちろん今から私がプロのピアニストになるのにはすべてを捨てる覚悟が必要かもしれませんが、趣味としてたしなむぐらいなら努力次第でしょう。その一方、自分をしつけなおすことは大変難しいことだと思います。しつけのなっていない自分がその自分をしつけなければいけない、ということなのですから。
まとめ
もしかしたら両親もこんな風に悩みながら自分を育ててくれたのかなと思うと、とても不思議な気持ちです。親は昔は何でもできる権力者にしか見えなかったけれど、そうではない面が見えたからこそ親のしつけのありがたみも分かってきたのかもしれません。
この難しさと同時に同時に子どもの将来を形作る行為であるしつけ。やはり両親に頭があがりません。たくさんのお父さんやお母さんに送る、少し大きくなった子どもからの匿名のラブレターでした。